セレニカ~グラントリ (UCI/2.HC)

最難関となるクイーンステージはブロークンランド

実写映画弱虫ペダルを観てきた

漫画やアニメ版の大好きな子供が実写映画も見たいとおっしゃるので連れていきました。なんというか、自分がふだん見ている映画とは目指すものも見せたい相手も違う作品だなあ、という感想でした。

まず気づいたのは、画面でなんも説明しないということ。ふつう映画だと、なにか伝えたいこと、たとえばキャラクターのバックグラウンドだとか思想信条だとかそういうものがあったら、それがわかるようなシーンをそれとなく入れたり、それ用のシーンがなくとも役者の演技で表現したり、観客が「ひょっとして」「なるほど」と感じ取れる方法を使うのが標準的なんですけど(ですよね?)、この映画は原作漫画にならったのかモノローグを導入していて、説明がぜんぶモノローグまかせになってしまっている。

原作つき映像作品でモノローグをどうするかはなかなか悩ましいところで、ファンがどういう作品を望んでいるのかとか、モノローグで作劇が容易(幼稚?)になってコストが抑えられる点をどう評価するかとか、まあ考え方はいろいろあると思うんですけど、実写映画「弱虫ペダル」についてはこういう方向性で、ということになったんでしょうね。

――アニメにする時に心がけたことは?

 制作的な面で言えば、マンガとアニメ、メディアの違いを意識した作りになっていると思います。マンガはナレーションやモノローグをうまく使用して物語が進んでいきますが、アニメでは可能な限りモノローグを省きながら、映像として説明できるものにしたいという提案を、神戸守監督や福島祐一アニメーションプロデューサーからいただきました。キャラクターの動きや、キャストさんのお芝居、劇伴音楽や効果音などで表現することで、単純なメディアコンバートではない作品になっていると思います。マンガとアニメの違いを(踏まえて)きちんと作れているので、どちらも楽しんでいただけるかなと。 アニメ質問状:「約束のネバーランド」 可能な限りモノローグ省く マンガとアニメの違いを意識 - MANTANWEB(まんたんウェブ)

そういうことが受け入れられるかどうかの判断はすごく難しいと思います。鬼滅の刃のアニメも漫画同様に炭治郎のモノローグを多用した作りになっていますが、単品の映像作品として評価が低いかといえばそんなことはないわけでして。

ただまあ、もしも実写版弱虫ペダルが実写というフォーマットの原則に従って作られていたら、面白い作品になっただろうなあ、と個人的には残念です。今泉くんがいきなり小野田くんに勝負を挑むくだりとか、漫画やアニメではかろうじてアリかもしれませんけど、ふつうに考えたら頭おかしいですよね。あのへんを幹さん(寒咲妹)あたりを焚き付け役にして再構成できたらなあ、とか妄想してしまいました。とくに今作では今泉くんが自信を失くしていて、それを仲間からの信頼によって取り戻すというのが物語のクライマックスに位置づけられているだけに、小野田くんの「仲間がほしい」という飢餓感とからめて「俺たちふたりとも欲しかったのは同じものだったんだな…」的な流れに持っていって…なんて夢想したくなりませんか? なりませんね。

あとあの橋本環奈さんとかいう女優さんはすごいですね。出演作品を初めて見たんですけど、この人がいるだけで画面に華が生まれます。ものすごい存在感。たぶんこの人の出演料が他のどのスタッフよりも高いんだろうなあと想像。

そうそう鳴子くんがいっつもポジション低めというかハンドルに伏せてるのが気になったんですが自転車のサイズが合ってないのか演出なのかよくわかりませんでした。