セレニカ~グラントリ (UCI/2.HC)

最難関となるクイーンステージはブロークンランド

牧瀬翼選手と下山美寿々選手がDoltcini Corlyp Development Team(ベルギー)に加入

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牧瀬翼選手

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下山美寿々選手

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拝啓 京都新聞様

2019年11月23日付で京都新聞ウェブサイトに掲載された記事『狭い山の道路にサイクリスト続々「いつか大事故に」 2台並走、危険な追い越し例も』ですが、問題のある記事ですのでここに指摘し改善を求めます。

問題1. 自動車優先の考え方と、それに伴う安全意識の欠如

道路利用者、とりわけ免許制度によって道路交通法の習得が必須となっている車両運転者には、交通の安全と円滑を高いバランスで実現することが求められています。つまり「きわめて危険だが運がよければあっという間に目的地に到着するが」と「事故の心配はまったくないがいつになったら目的に着くかわからない」の中間のどこかで「自分の予想できる範囲では事故は起こらないと確信しつつそれなりの速度で移動できている」という運転を目指さなくてはいけないわけです。しかしながら実際に道路に出てみれば、自分が鋼鉄でできた箱で守られているのをいいことに、周囲の交通の安全よりも自分が気持ちよく運転できることを優先する運転者が少なからずいることは明白であり、そうした運転者の存在が、国内でいまだに年間4千人以上が交通事故で亡くなるという悲惨な現実をもたらしているわけです。となれば新聞をはじめとする各種報道機関は、このような自動車運転手の意識を変えていくような情報を発信することが求められるのが当然です。ところがこの記事はたいした分量でもないのに

  • 「山間部では路側帯を含む道幅が狭い箇所もあり、自転車が集団で走る姿に不安を感じる人も少なくない」
  • 「自転車を追い越すには道幅が狭くて危険に感じた箇所がいくつもあった」
  • 「自宅から自動車で通っているが、自転車とぶつかりそうになったこともある」
  • 「後方の自動車は追い越すことができず、前方からは対向車がやってくる。一歩間違えれば事故になりかねない状況」
  • 道路交通法違反に当たるが、自転車をよけるために自動車が黄色いセンターラインを越える場面も見た」

といった、本来であれば危険を避けて運転すべき運転者が、危険を認識しながらも容認しつつ運転している様子が頻繁に描写されており、それを非難するフレーズが見当たりません。なぜひとこと「自動車は他の交通に危険を及ぼす行為をしてはいけません、追い越しは安全が確保できるまで待ってからにしましょう」などと書けないのでしょうか。

問題2. 自転車利用者と自動車利用者とを対立させ分断しようとする姿勢

本記事では、自転車利用者と自動車利用者に正反対の(あるいは一見正反対に思えるような)属性を付与することで、両者の対立を煽っています。たとえば「週末になるとサイクリストたちが気持ち良さそうに疾走する」「秋の周山街道駆け抜けて行った」というフレーズで、自転車利用者がレジャーのために道路を利用していることを強調したり、「北区中川で木材家具店を営む男性は(中略)心配げに話した」「店の男性はつぶやいた」などと車両運転者が(自分が安全運転を怠っていることを棚に上げて)不安を表出している様子を描写しつつ『「自転車をきっちり整備し(中略)よく走る道なので危ないとは感じない」と言い切った』などと自転車利用者を強気な人物として描いています(強調はブログ著者による)。吊り広告の大げさな売り文句で読者を獲得しようとする大衆誌であればともかく、新聞がこのようなテクニックを弄するのはたいへん残念です。

ところで、本記事の読者諸兄の中には「仕事で道路を使う自動車がレジャー目的の自転車よりも優先されるのは当然だ」といった意見をお持ちの方もおられるようですが、道路利用者の利用目的の重大さをどうやって点数付けするのか(比較し優先度を付与するためには何らかの数値化が必要でしょう)、それをどうやってお互いに見えるようにするのか、考えたことはあるのでしょうか。ひょっとして「自動車は全員仕事、自転車はみんな遊び」とみなしても問題ないと思っておられる?

問題3. 道路で発生する問題の解決を利用者に押し付ける考え方

記事の後半で大きなスペースを割いて北桑田高の取り組みを紹介しておられます。この取組じたいは重要かつ有効でしょうし、一定の紙面を割く価値はあるように思えますが、こうした「利用者による問題解決のための努力」に対して「道路行政・整備者に求められる努力」への言及があまりにも少なすぎます。利用者の一人がせっかく「自転車専用の道が整備されれば、安全になるのだが」とコメントしてくれたにもかかわらず、もうひとりの「自転車と自動車が共存するためには、互いにマナーを守って走るしかないのでは」というコメントのほうを節の後半に配置して記事の結論としてしまっている点も残念です。地域住民の発言をまとめて記事にするというのがこの「読者に応える」というシリーズのコンセプトなのかもしれませんが、せめて最後に「自転車活用推進法が成立してもうすぐ3年、国は自転車を活用した健康増進を謳っているが、掛け声だけでなく環境整備にも本腰を入れるべきではないか」ぐらいのことは書いておいてほしいものです。

問題4. ルールに関する認識の甘さ

重複になりますが、「自転車と自動車が共存するためには、互いにマナーを守って走るしかないのでは」というコメントを配置して終わりにするのはあまり褒められた態度ではありません。上でも書きましたが、年間4千人以上が亡くなる道路交通の場では、安全のためなによりもまずルールをルールとして守るべきであり、明文化されたルールとマナーのような不文律とを混同してはいけません。たとえば記事では「道路交通法違反に当たるが、自転車をよけるために自動車が黄色いセンターラインを越える場面も見た」と書かれていますが、実はそのひとつ前の文章もまるごと道路交通法違反にあたります(自転車2台が並走して車道をふさぎ=第19条「軽車両の並進の禁止」、後方の自動車からクラクションを鳴らされるグループも=第54条「警音器の使用等」)。またこの文脈でしたら、自転車側に適用される義務として道路交通法27条(他の車両に追いつかれた車両の義務)についても言及ないのは片手落ちです*1道路交通法違反の取り締まりが年間650万件もあることからわかるように、とかくルールというものは軽視されがちですが、細かい点で自転車利用の実態に合わない部分もあったりするものの、全体的にはきちんとルールを守っていれば事故を減らせますし目的地までの所要時間が倍になったりすることもありません。地域住民の気持ちに寄り添うのもけっこうですが、交通安全のため、尊い命を守るため、報道機関におかれましては道路交通法の遵守の重要性を繰り返し説いていただきたく思います。

*1:自転車には最高速度の定めがないので譲る義務もないとする説もありますが、法の趣旨からすると譲るのが正しい態度と考えています。議論は歓迎です

ストリートビュー動画のGPSログはスマホアプリ内に保存されている

スマホを買い替えたらストリートビューアプリが360°カメラ(RICOH THETA V)に接続できなくなりました。というかアプリのデータを消去すると再接続できるのですが、この「データ」には撮影済み動画のGPSデータも含まれるのです(!)。なので、ストリートビュー動画を撮影して、それをすべてスマートフォンにダウンロードするまでのあいだに接続が切れてしまうと、カメラに残された動画は捨てるしかなくなります(カメラに再接続しようとデータを消去するとGPSログがぜんぶ消えるので)。そしてTHETA Vは充電中はWiFi機能が強制的にOFFになるので、バッテリーが切れるまでにスマートフォンへのダウンロードまで済ませないといけなくなります。だいたい容量を使い切るまで撮影すると、スマートフォンへの転送が終わるまでバッテリーは保ちません。なので撮影できるのはせいぜい30分ぐらいになってしまいます。

これは厳しい。厳しい。

ストリートビューアプリで撮影した動画が見えなくなって容量を消費

まだきちんと検証できていないのですが、どうもこんな感じっぽいです。

  1. Androidストリートビューアプリで360°動画を撮影
  2. 撮影後にカメラからスマートフォンへ転送するか聞かれるが、NOと答える
  3. 家に帰ってからストリートビューアプリの各画像の「↑」ボタンをまとめて押してカメラからスマートフォンに転送しようとする
  4. 「カメラの画像は削除していい?」と聞かれるのでYESと答える
  5. しかしカメラのバッテリーが途中で切れる
  6. するとスマートフォンへ転送ずみの画像がカメラに残るのだが、ストリートビューアプリからもカメラアプリ(THETA)からも見えない

カメラをPCに接続すると「PC\RICOH THETA V\固定記憶域\DCIM\100RICOH」フォルダにmp4動画ファイルがいっぱい入っているのが見えるのですけど、PCにつないでみようという発想をどれくらいの人が持てるのか…。

シフトワイヤーが切れたので31Sに交換

ST-2300のシフトワイヤーはあんまり長持ちしません。前回は2年半前に切れました(シフトワイヤー切れた - セレニカ~グラントリ (UCI/2.HC))。

今回はためしにAlligator 31S Superior Shine(アリゲーター 31S スペリオールシャイン)というちょっといいやつを投入。引いた感覚はとくに変わらないというか、違いがわからないのですが、寿命が気になるところです。

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子乗せ自転車チェーン交換

自分用メモ。チェーンがカリカリいうなあと思って伸びを測ったら1%をとっくに超えていたので中古のUCというブランドのチェーンの錆を落として再利用。

フェラーリのマウンテンバイクのおはなし

web.archive.org

いまでもたまに通販の長期在庫で見かけますが、10年ほど前にフェラーリのロゴを冠したマウンテンバイクが販売されていました。子供用から大人用まで全7車種、ハイエンドモデルはなんと40万円! 自動車ブランドの自転車というと中国メーカーの安物フレームにロゴだけ貼ったものを連想される方も多いかと思いますが、このシリーズはホンモノでした。といってもフェラーリが作ってたわけじゃないでしょ? どこ製よー? という疑問がわいてくるのもごもっともな話です。で、気になってちょっと検索してみたら、そのへんの事情が書かれた記事が見つかったので、無断で翻訳してお届けします。まあメキシコのサイトなのでわざわざ日本語のブログに文句を言ってくることはないんじゃないかなー。ないといいなあ。

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フェラーリの自転車、メキシコ製

メキシコの自転車メーカーBiciclo社が高級モデルを企画しイタリアの会社に売却。この先20年間で世界にむけて30,000台を生産すると合意。 2007年9月7日(金)

Turbo bikeブランドの自転車を製造するBiciclo社のオーナー、アレッサンドロ・アレッシ(Alessandro Alessi)は、とある晩F1レースを見ていた。イタリア人の彼はフェラーリのファンで、フェラーリチームの勝利をことのほか喜んでいたが、そのときふと思いついたことがあった。跳ね馬のマークのついた自転車を作るというのは無理だろうか? 翌日会社でこの話をすると(てっきり「頭がおかしいのか?」と言われると思った、とのちに述懐している)、誰もが昨晩の彼と同じように盛り上がってくれた。

このサン・ルイス・ポトシの起業家のアイディアが現実となったのは2006年の11月のことだった。世界でもっとも高級なブランドのひとつと、5年間に及ぶ契約を交わすことになったのである。しかも、100%メキシコ製の高級自転車の製造契約だ。

アレッシはメキシコから真紅のブランドの本部があるマラネッロまで何度も足を運び、ついに「フェラーリブランドへの敬意にあふれ、ブランドの価値をより高めるような自転車をデザインしてすぐに送ってくれ。全世界における販売計画も添えて」と言わしめたのである。

しかしフェラーリと契約したがっていたのはBiciclo社だけではなかった。他にも2社から自転車製造を提案され、検討していたのである。アレッシには10日の猶予が与えられた。「きびしいけど無理ってわけじゃない」フェラーリのブランド管理担当部との打ち合わせからの帰途につきながら彼はそう考えていた。打ち合わせでは、自転車のモデルとその製造数を提案するように言われていた。

サン・ルイス・ポトシのチームメンバー全員が、フェラーリはこと品質にかけては非常に要求が厳しいことを知っていた。「プロトタイプができるまで昼も夜も働き詰めでしたね」マーケティングディレクターであり、このプロジェクトの宣伝担当を務めるホアン・カルロス・アギラール(Juan Carlos Aguilar)は当時のことをそう語った。

夢は現実となりつつあった。Biciclo社は従業員550人、年間35万台を製造しており、このプロジェクトには2千5百万ドルを投じて、二、三年で回収する見込みであった。「ここでリスクを取るべきかどうか、現状に甘んじるかさらなる高みを目指すか、大きな決断でした」とアレッシは語る。

打開策を求めて

Turboはリスクを取ることにした。メキシコにおける販売不振を巻き返すチャンスだった。自転車市場の条件はベストとは言いがたかった。

「商品価格は下落傾向にありました」メキシコ自転車製造業協会(Anafabi)のハビエル・アラミージョ(Javier Alamillo)氏によれば、当時の販売台数は年間300万台、2001年と比べると50%以上の伸びを示していたが、販売台数の85%を占める14社の戦略は薄利多売であった。

メキシコの自転車業界はなんとかして逆風に対抗しようとしていた。Anafabiの予測ではこの年の上半期は自転車の売上が30%減となるだろう、ということだった。原因は、自転車売上の22%を占める子供向け市場が、テレビゲームや携帯電話の普及によって低調となるためではないか、とアラミージョ氏は見ていた。

中国製の輸入自転車の影響も少なくなかった。「中国の自転車メーカーの人件費はメキシコの10分の1ですし、輸出品には政府からも13%の補助金が出るんです」とアギラール氏。しかしそうしたなかでもTurboブランドの自転車の売上はこの5年間で毎年平均10%の伸びを示していた。ただし、利益率の伸びはそれよりも低かった。

販路の開拓

Biciclo社は3年前の時点で、国内販売の埋め合わせをするために新たな戦略が必要だと気づいていた。追求すべきが(社是に書かれているように)品質であるのなら、販売数競争に参加するのは間違っている。「Turboブランドはメキシコの市場では最も高級なブランドなんです」とアギラール氏は語る。価格帯は千から3万ペソ(訳注:2007年当時は1ペソ=10円)。ハイエンドモデルは過去4回のオリンピックでマウンテンバイク、トライアスロン、ロードレース競技に使用された。さらに前回のパンアメリカン競技大会ではメキシコ人選手のLorenza MorfinがTurboチームで銅メダルを獲得している。

この考えに従って、Turboはハイエンド市場に集中することにした。2003年には高級モデルを輸出している。「ここを乗り切ればグローバル市場に乗り出していけると考えました」アギラール氏は述べている。

こうした取り組みの中で、ルーニー・テューンズのキャラクターが描かれた自転車の製造ライセンスを取得したり、2年前にはアウディ・メキシコと契約し、国内向けにアウディブランドの自転車を製造してきた。

このような流れを考えれば、フェラーリとの契約もそうそうおかしな話ではなかった。「利益をきちんと出しつつビジネスを拡大するのが目標でした」とアレッシ氏。フェラーリのようなブランドのライセンス製品はそのためのものだった。

はたして数字は期待を上回るものだった。Turbo社の利益はメキシコ国内では一桁台だったが、フェラーリの自転車では30%を超えることがあった。

「単なるビジネス上の利益だけでなくイメージの向上があったということですね。問題は、今後ビジネスを続ける上でそうしたイメージと実際の利益とどちらを重視するかということで」とアラミージョ氏。

旅立ちの日

プロジェクトがフェラーリの認可を受けて2ヶ月後、Turbo社はイタリアで7種類のモデル――子供向けから大人向けまで――の実物を披露した。

合計7人のデザイナーと設計者が部品構成を決定し、製品コンセプトを試作品に落とし込んだが、アレッシ氏は業界での50年の経験を生かして彼らをすぐそばで支え続けた。とにかく、かつてないものを、それでいてブランドのイメージを崩さないものを生み出さなくてはならなかった。

ここでTurbo社に有利に働いたのが、エルネスト・コルナゴの――自転車界を象徴する人物の――支持を取り付け、プロジェクトに協力してもらったことだ。コルナゴは1961年からフェラーリのハイエンド自転車を製造していた。価格帯はおよそ7千ユーロ(約9千5百ドル)、生産数は60台を超えることはなく、分野はロードバイクに限定されていた。

Biciclo社も同じように製造を手がけたわけだが、コルナゴが「部品も技術的な仕様も申し分ないと保証してくれました」とアギラール氏は明かす。実際のところ、自転車はサン・ルイス・ポトシではなく韓国にあるコルナゴの工場で製造された。

ビジネスプランの軸は、ブランドの影響力を十分に活かして、世界中で限定数の自転車を販売し、豪華な商品を手の届く価格で提供することだった。価格帯は4千ペソ(子供用)から2万5千ペソだった。

契約では、4年間で5万台の生産が計画されており、2007年にはそのうち3万台が生産された。ポイントは、市場が求めるよりも供給量を絞ってプレミア感を演出するという点だ。「自転車を限定生産にして人気を高めたかったんです」とアレッシ。いまのところ計画通りの生産が予定されている。

販売代理店はヨーロッパ、アラビア半島、それに中国、台湾、日本、韓国といったアジアの国々にあり、1万1千台が販売予定だ。加えて米国のSaksとNeiman Marcus(訳注:いずれも百貨店チェーン)への初回出荷が控えている。

サン・ルイス・ポトシの本社では、いまや従業員が電話口で英語を話すのがありふれた光景となり、運輸会社との打ち合わせの声や、フェラーリの話題があちこちで聞こえてくる。

「いまでも夜、うちに帰るとふと考えることがあるんです。一年半前、こんな小さな会社が世界を相手に、たった一社でフェラーリの自転車の製造販売を手がけることになるなんて思いもしなかったな、と」ホアン・カルロス・アギラールはそう述懐した。

バーバラ・アンダーソン(Bárbara Anderson)氏からの情報に基づく記述